【インタビュー】鈴木鬼子とタクシードライバー

「近道なら大通りに行くより、箱根山を越える道がいいでしょう。例の交差点の下にでますけども」

老年のタクシードライバーは、この辺りの道に熟達しているらしく、そういう。目測およそ70歳弱。岩本 功(仮名)。往年のハマコーに似た、タクシードライバーにはどこかそぐわない、堂々とした雰囲気の男だ。

 

 僕は猛烈な尿意に耐えつつ、任せます、と答えた。

はい、と短く答え終わるか否かすぐさま車が滑らかに走り出す。目的地の自宅兼事務所まで、ここからタクシーならほんの5分か10分の距離。この男に任せれば、「間に合い」そうだ。歩けない距離ではく、ワンメーターでも僕のようなしがないフリーランサーには痛い出費だが、漏らすよりはマシだろうと咄嗟に捕まえたタクシーだった。

「箱根山ってのはね、もちろん例の箱根の山からきてて。この辺でいちばん海抜が高いもんだから、そう呼ばれてるんです。戦時中なんかはね、なにかあったときはこの山に避難するっていうのがね、あったらしいんです」

 上り坂で車体が傾き、膀胱が揺れる。僕は、迫り来る生理現象からできるだけ気が逸れるように、老いたドライバーの話に集中した。

——— 確かこの辺りは当時、軍士官学校やらがあったそうですね。

図書館にあったこの辺りの昭和初期の地図によると、確かそうあったはずだ。

「いや、それはわたし、この辺出身じゃあないんでね、わからないんですが。聞いた話だとね、このへんは毒ガス作ってたみたいですよ」

———毒ガス!それは怖い。だから、そういう施設が狙われやすくて、その、よく避難を?

「いや、この辺はどうだったか定かじゃないんだけど。でも、いまの西東京の、ひばりが丘あたりにも、そういう工場とか実験場みたいなのがあって。そこ守るのに対空砲台なんかがあったんですわ。エバラのあたりもそうだったんです」

ーーー中原街道の、荏原ですか。

「いや、世田谷じゃなくて。さんずいに工の字の。中野辺り」

———戦争、こわい。

  我ながらいい歳こいて、頭の悪そうな感想だった。しかし、僕が「戦争をしらない世代」が産んだ子供の、そのまた子供であったとしても、学校の図書室の絵本とか、夏休みにテレビでやってるアニメの「蛍の墓」なんかで、それがいかなるものなのか、散々見聞かされている。率直に、戦争は、こわい。少なくともこの場で失禁するよりも、ずっと。

 ビールでどろどろになった平和な脳みそで、今ではおおきな都営団地なんかが立ち並び、すっかり舗装された箱根山の坂道を、毒ガス工場の職員とその家族たちが戦火に追われて息も絶え絶え駆け上がる姿を車窓の向こうにぼんやりと重ねてみたが、タクシーは快適にその幻影を追い越した。

 本家箱根の山々に比べるまでもない、むしろ山と呼ぶにはささやかすぎる坂道を越えて、今度は車体が緩やかなくだり方向に傾き、膀胱のビールがドプンと波打った。

「最後の戦争に負けて以来ね、にほんは、アメリカのものですよ。将来は隣国のものになるのかな。永遠に、自由はない」

———はあ。どうしてそう思うんです?

「元総理大臣で、しんじゃった人いたでしょう。そう、小渕さん。あの人ね、バーの女なんかにクスリもられたんだよ。え、いやいや、睡眠薬。なんか変だったでしょう、最期。あれは意図的にね、国民(テレビ)の前で酔っぱらわせられて、ズベやらかされたんだ。まあ、聞いた話なんだけどね。くわしくはタクシー屋だから、はなせないんだけどさ」

———そりゃ、イヤな話をきいた。お互い長生きの為にその話はこの辺で。じゃあ、僕らが自由になる為にはどうすりゃいいんです?


「今はね、女がダメだね。玄関先で三つ指付いて亭主をお出迎え、なんて、100人に一人でしょ。みそ汁だって作りやしないでしょう」

———男を立てないと。なんでそうなっちゃったんだろう?

「だって、いまの男には立てるキンタマがないんだね。腹一杯でゲームかなんかやってりゃあ、なんにも残りはしないよ」

———じゃあ、どうすればいいんでしょう。戦争でもして、腹ペコになればいいのかしら。

「戦争なんか、ダメだ。ダメダメ。そんなことしたらぜんぶなくなっちゃう。まあ、どうしようもないね、にほんには土地も資源もない。腹へらしてやりゃいいか?うーんそうだね、そうですね。910円です。領収書ですね、はい。」


目的の場所に到着したようだ。僕の腹、おもに下腹部は減っているどころか、破裂寸前だ。貴重な話をどうも、と言ってドアを開けて片足を出したが、自動ドアが僕の左足を挟んだ。

「だいたい今なんて、自分でひとりぶんのメシつくるよりね、コンビニなんかで買った方が安く上がるでしょう。じぶんで作ったら、1食1000円はするんだよ」

そんなことはないだろう。デフレで外食や出来合いの弁当が安くなった現在でも、自炊に勝る食費の節約術はない。しかし、男子厨房に入らず。今ではすっかり死語だろうが、たしかにそういう時代がこの国にはあったらしく、その生き証人は続ける。

「おれも、この仕事の前は、ミソの卸売業の社長でね。なんだか、なんでいまタクシー屋なんかやってるのかわからないんだ」

———なるほど、昔は景気が良かったらしいですね。

「そう。スーパーマーケットの社長もやってたんだけどね、売り上げの全部を、おばちゃん(パート)にあげちゃうわけ」

———それじゃあ、赤字じゃない。

「見栄だよ見栄。というのも、俺もね、なんにもないゼロからのし上がって社長になったわけじゃないの。ほら、武将の、真田幸村のゆかりのね、長野県の。大きな檀家のせがれなのよ」

内ポケットから携帯電話を取り出すと、えらく長い戒名が記された位牌と、立派な装束を着た、やっぱりどことなくハマコーに似た老人の遺影が写った写真を見せてくれた。

———なるほど。

だめだった。もはや、おしっこ漏れそうだった。せっかくいろいろ話してくれているのに、こんな別れ方で申し訳ないけど、その、本当に、きょうはどうもありがとう。お元気で。

僕はタクシーから逃げるように飛び出した。

「まあなんていうか、いい日本にしてくださいよ、ね」

老いた男は助手席の窓からそう言い残して、颯爽と走り去った。視界から消えるまで、ずっとハザードランプを点滅させたままだったのは、この先、この国を支える若者達への希望の印か、単なる消し忘れか。

僕はそれを見送りながら、盛大に失禁した。

とても清々しい気持ちで満たされた。

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